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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)883号 判決

控訴人 島田利夫(仮名)

被控訴人 国

右代表者法務大臣 西郷吉之助

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金六九万七、七二八円およびこれに対する昭和四一年五月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張および証拠の関係は、次のような控訴人の主張および被控訴人の答弁をつけ加えるほかは、原判決の事実の部に記載されているとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の新たな主張)

本件審判は、控訴人および訴外○○飛行機工業株式会社に対し、控訴人が同訴外会社に対し取得すべき給料その他一切の収入のうち二分の一の額の支払およびその受領を禁止し、これを訴外島田美津子に支払うべき旨の仮の処分を命じているが、労働基準法第二四条第一項によれば、賃金は通貨で直接労働者に金額を支払わなければならないのであつて、労働者の直接全額の賃金受領を不可能ならしめた本件審判は、同法に違反した違法があつて無効である。

(右主張に対する被控訴人の答弁)

労働基準法第二四条第一項が賃金の直接払を規定した趣旨は、従来労働者の賃金が、親方、職業仲介者等第三者や親権者、後見人等の代理受領によつて横奪または中間搾取され、あるいは使用者から一方的に天引、相殺もしくは控除される等して労働者の手に入らず、その生活を極めて悲惨なものにしていた弊害があつたので、これを除去しようとするところにある。しかるに、本件審判が、相手方(控訴人)に対し収入の二分の一の受領を禁じ、第三債務者(前記訴外会社)に対しその分を申立人(訴外島田美津子)に支払うよう命じたのは、申立人およびその子達の養育扶養料として民事訴訟法第六一八条の規定を類推適用して収入の二分の一の支払を命じたものであつて、その間に労働基準法の右規定が除去しようとする弊害の入り込む余地がないから右規定に違反するものとはいえない。

理由

一、訴外島田美津子が昭和三七年一〇月一六日控訴人を相手方として東京家庭裁判所八王子支部に婚姻費用分担の調停を申し立て、同事件が同裁判所昭和三七年(家イ)第四一〇号事件として繋属し、その後昭和三八年九月一九日調停不成立となつたこと、同裁判所家事審判官高根義三郎が、右調停の進行中である昭和三八年四月一七日、控訴人に対し、控訴人が訴外○○飛行機工業株式会社から支払を受けるべき同年四月分以降の給料その他一切の収入のうち二分の一の額の支払の受領を禁止するとともに、右訴外会社に対し、これを島田美津子に支払うよう命じた仮の処分を命ずる審判をし、右審判が同月一九日控訴人に、またその頃右訴外会社にそれぞれ送達されたことは当事者に争いがない。

二、ところで、右調停の申立書であつて成立に争いのない甲第二号証の二によれば、訴外島田美津子は、別居中の夫である控訴人に対し、自己の生活費及び両名の間の子章の扶養料を併せて婚姻費用の分担として請求する旨申し立てているのであつて、事件名は婚姻費用分担事件であるが、実質は妻の夫に対する夫婦間の協力扶助の請求事件であるとみうるのである。

また、右審判の審判書正本であつて成立に争いのない甲第三号証によれば、その前文に「昭和三七年(家イ)第四一〇号婚姻費用分担調停事件について」「家事審判法第一五条にもとづいて」審判する旨の記載があり、右審判は、婚姻費用分担調停事件について、家事審判法(以下法という)第一五条の適用があり、したがつて執行力ある債務名義と同一の効力を有するものとしてなされたことが明らかである。

三、訴外島田美津子の控訴人に対する婚姻費用分担請求の事件は、右のようにその実質において夫婦間の協力扶助請求の事件であるから、これについて家事審判規則(以下規則という)第四六条第四五条第九五条の適用が許されてしかるべきである。

控訴人は、右規則第九五条が強制力による実体的権利の実現を伴うような審判を定めているのは、憲法第七七条第一項所定の最高裁判所規則により制定し得る事項の範囲を逸脱していると主張するのであるが、規則第九五条に定める仮の処分を命ずる審判の効力については、法第一五条の適用があるか否かをめぐつて積極説、消極説が対立し、実務家の間でも未だ権威ある確定的な解釈が存しない。しかも、仮にその適用があり従つて執行力ある債務名義と同一の効力があると解するとしても、もともと最高裁判所規則によつて制定し得る事項は、憲法第七七条第一項所定の事項に限られるわけではなく、法律によつて委任された事項についても制定し得るのであつて、右規則第九五条の規定は、法第八条の規定による委任に基くものであるから、憲法第七七条第一項に違反するということはできない。また控訴人は、右仮の処分を命ずる審判に対し不服申立が認められていない点で憲法第三二条に違反するというのであるが、憲法第三二条は、憲法及び法律の定める裁判所においてのみ裁判を受け、裁判所以外の機関によつて裁判を受けることがないことを保障したものであつて、裁判所のいかなる裁判に対しいかなる不服申立を認めるかまたは認めないかについてまで規定したものではなく、これらは立法によつて適宜定め得るところであり、不服申立が認められていないことをもつて、憲法第三二条に違反するということもできない(なお、規則第九五条第一項の仮の処分を命ずる審判については、同条第二項によつて裁判所の職権による取消・変更のみが認められているのであるが、右審判の効力につき前段掲記の積極説をとるのであれば、行き過ぎた審判の抑制ないし是正のため、ほかに何らかの不服申立を認めることが望ましいと考えられるが、これは立法政策上の妥当、不妥当の問題に過ぎない。)。

四、次に、右のような婚姻費用分担事件について、夫婦間の協力扶助の事件に関する規則第四六条第四五条の規定により同第九五条の規定が準用されるとしても、調停の申立があつてその手続が進行しているに過ぎない段階で、右第九五条の規定による仮の処分を命ずる審判をすることができるかは、一つの問題である。右第九五条は、本案たる審判の申立があつたときに、臨時に、必要な処分をすることができると定めているのであるから、本案たる審判の申立のあることが前提とされることはいうまでもないのであるが、被控訴人は、法第九条第一項乙類所定の審判事件については、法第二六条第一項により、調停不成立の場合に調停申立の時にさかのぼつて審判の申立があつたものとみなされるのであるから、調停手続は審判前の手続にほかならず、調停手続中でも仮の処分を命ずる審判をすることができると主張する。しかし、法及び規則は、乙類審判事件について審判の申立をするには原則として調停手続を経たことを要するという意味での調停前置主義を採つておらず、また調停手続と審判手続とを明確に区別していること(法第一一条第一八条、規則第二〇条等参照、法第二六条第一項の規定が、調停不成立の場合調停申立の時にさかのぼつて審判申立があつたものと擬制しているのは、新たに審判申立書を提出したり手数料を納付したりすることを不要とするとともに、財産分与請求事件のような審判申立期間の定めがある事件について、期間経過による不利益を生ぜしめないようにすることをはかつたものであつて、調停手続をさかのぼつて審判手続の一部とみなす趣旨とは考えられないこと、審判手続における保全処分として仮の処分を命ずる審判が定められているのに対し、調停手続における保全処分としては、別に規則第一三三条及び第一四二条による調停前の仮の措置が定められており、この仮の措置は、調停が当事者の互譲による円満な紛争の解決を目的とすることにかんがみ、家事審判官が単独でする場合であつても、勧告的効力があるだけで執行力が与えられておらず、法第二八条第二項による過料の制裁によつて間接的にその履行を強制できるに過ぎないのであるが、このような現行の制度の建前からすれば、調停手続における保全処分としては、仮の措置をもつて満足すべきものと考えられること等を勘案すると、被控訴人の右主張は俄かに採用し難い。

また被控訴人は、成立に争いない甲第二号証の五(準備書面と題する書面)、同号証の六(仮の審判申立書と題する書面)の提出によつて審判の申立があつたといい得ると主張するけれども、本件仮の処分を命ずる審判は、前認定のような調停事件についてなされたことが明らかであり、審判手続が開始された事件についてなされたものとはいえないから、被控訴人の右主張も採用できない。

以上のような当裁判所の見解に従えば、乙類審判事件の調停事件について審判前の仮の処分を命ずる審判をすることは許されないこととなり、本件婚姻費用分担調停事件についてなされた仮の処分を命ずる審判は、違法といわざるを得ないのである。

五、しかしながら、当事者間の感情の対立がはげしい家事調停事件においては、直接の強制力がない調停前の仮の措置によつて義務者の履行を期待することは甚だ困難なことが多く、ことに権利者の生活のため緊急の必要があるような事案に対処するための実務上の要求もあり、仮の処分を命ずる審判にも法第一五条の適用を認めてこれに執行力ある債務名義と同一の効力を与え、かつ被控訴人主張のように乙類審判事件の調停手続は審判前の手続であり、調停手続中でも仮の処分を命ずる審判をすることができるとする見解も存するのである。そして右の法第一五条の適用について積極、消極の両説が併存しているのと同様に、調停手続中の仮の処分を命ずる審判の可否についても未だ権威ある確定的な解釈は存しない。

控訴人は、本件仮の処分を命ずる審判は、控訴人が賃金を直接全額受領することを不可能ならしめた点で、労働基準法第二四条第一項に違反する違法があると主張するのであるが、本件仮の処分を命ずる審判に執行力ある債務名義と同一の効力を認める右の説に従えば、そのような結果を生ずることは当然であつて、労働基準法に違反するものではないということになるであろう。

六、ところで、家事審判官が右のように相対立する見解の存在する審判をしようとする場合には、慎重に熟慮してなすべきことはいうまでもないけれども、結局においていずれの見解に従うかはその全人格的識見による判断に委ねるほかないのであつて、その採用した見解に基いてした審判が後の裁判で違法であるとされたとしても、少くとも通常の家事審判官に当然要求される注意義務を怠つて判断を誤つたというに足る特別の事情がないかぎり、これによつてその家事審判官に国家賠償法第一条第一項にいう故意過失があつたとすることはできない。

本件の担当家事審判官は前記の積極説の見解に従つて本件仮の処分を命ずる審判をしたものというべきであり、当裁判所は右審判を適法なものとは考えないのであるが、担当家事審判官に右審判をするについて故意過失があつたというべき特別の事情を認めるに足る証拠はなにも存在しない。

七、従つて、控訴人の本訴請求は失当であり、理由を異にするが結局においてこれを棄却した原判決は相当であるから、本件控訴はこれを棄却すべきであり、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川善吉 裁判官 小林信次 裁判官 川口冨男)

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